私は常に「人間」を被写体としてきました。私にとって「人間」は限りなく魅力的な題材なのです(絶えず変化し、予想がつかないという意味で)。本質的ペルソナを追い求めながら、しかもその本質は刻々と変わっているのです。私は現在太った女性のポートレートとヌードのシリーズを制作しています。私が興味を持っているのは、社会通念として、決して美しくないと言われる部類の人々のイメージをも含む新しい視覚的言語を創り出すことなのです。特に西洋社会においては、女性が痩せていることと若さに高い価値がおかれます。太った女性は、サブ・カルチャーの「忘れられた」「アンタッチャブルな」メンバーなのです。結果、体重やサイズは多くの人にとって極めて感情的な問題となっています。しかも、太った女性のアイデンティティーについては、多くの誤解が生じているのです。(太った男性も同様ですが、その度合いは多少少ないでしょう)
ウェイト・コントロール専門のクリニック、ダイエットの専門医、太った人々の為の施設、ダイエット薬、ダイエット食品、減量のための新しい方法論を説く本や雑誌等など。身体に対して永遠に不安を抱かせることで儲けようとしているのです。ダイエットはうまくいかないし、減量に何度も何度も格闘する人々をみることはいたたまれません。私の場合もそうでした。アメリカの代表的な医療関係雑誌によれば、ダイエットを始める人で、成功するのは、わずか5%にすぎず、95%は、5年の間に元の体重に戻るばかりでなく、通常更に数キロ増えてしまうのです!悲しい現実です。私は、皆太るべきだと言っているわけでも、治療の一環として減量しなければならないひともやめた方がいいと言っているわけでもないのです。ただ極端なダイエットと自己嫌悪の人生に陥るよりは、自分を愛し、自分の体型を受け入れることのほうが究極的には健康ではないでしょうか。定期的に起こる社会のダイエットへの執着は、ありのままの自分を愛するというよりは傷つける(身体と心を)ことになるのです。ファッションに流行があるように、女性の身体は時代によって理想とするサイズと体型が変わるということを覚えておくことは女性にとって大切なことなのです。
私の写真が、写真を見る人に、新しい、そして違ったものの見方や感覚を見せることができたらと思っています。太った人々に対して、そして究極的には、自分自身について。私の写真は、メディアがつくり上げた太った女性・男性の品位を傷つけるイメージや、ネガティブなイメージに対するリアクションなのです。この新しい視覚言語が、太った女性たちを誇り高く、優しく、力強く、官能的で、生き生きした人々として見せたい、そして美的で尊敬を込めた方法で見せることができればと思うのです。私はルノワール、ルーベンス、ボテロ、マティス、マイヨール、ヘンリー・ムーアの作品に影響を受けました。太った女性のイメージは私の心を写しています。私はこれまで常にスマートな人々を写して来ました。そして、私と外見のかけ離れた人々のイメージの影に、私の感情を無難に隠し続けて来ることができたのです。今ようやく私自身と私の撮る写真が一体となってきたのです。
私の写真は、(見る側にとって)太った人々を見ることと、親しみを抱くことへの導きと考えています。彼らを個人個人として知ること、そして彼らが自負心を持ち、誠実で、美しく、官能的であることに目を向けることができると。見る側は好きなだけ眺めて、それからその額に入ったアートが、実は見る側の自分のイメージが戻ってくる鏡だと考えれば、見る側は次に自分に問いかけるでしょう、自分の身体と、身体のイメージについてどう感じているのか、そしてそれぞれが今日ある姿を(不完全さも含めて)受け入れることができるのかと。人生を豊かに、正しく、自分を愛しながら生きるために。社会には、人々の健康を多かれ少なかれ冒すところの自尊心の低下という”病気”が存在します。私の写真は、ダイエットに成功しようとしまいと(痩せたいと思っても思わなくても)、自尊心の低さと戦い、今この瞬間にも、より幸福な、より健康な生活を営むための、肯定と包括を表すものなのです。
自己紹介をします。私の名前はパトリシア・シュワルツ。私は、誇り高く、面白く、まじめで、かわいく、美しく、知的で、太った女性です。
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