| 1902年 |
2月4日、メキシコ・シティに生まれる。1908年から1914年までトラルパンのカソリック系の学校に学ぶが、1910年、革命により中断。革命を目の当たりにする。 |
| 1915年 |
公務員として働きながら、夜間学校にて会計を学び、最終的には文学を学ぶ。 |
| 1916年 |
財務局にて勤務。 |
| 1918年 |
サン・カルロス芸術アカデミーにて絵画と音楽を学ぶ。 |
| 1922年 |
イギリスの雑誌『アマチュア・フォトグラファー・アンド・フォトグラフィー』を見て写真に興味を持つ。 |
| 1923年 |
写真家ヒューゴ・ブレムに出会う。 |
| 1924年 |
ブレムに写真を教わり、最初のカメラを購入、写真を撮り始める。 |
| 1925年 |
ドロレス(ロラ)・マルチネス・ビアンダと結婚。オアハカに移る。 |
| 1926年 |
オアハカの写真コンテストにて一等を受賞する。 |
| 1927年 |
公務員として政府の様々の部局で働くため、メキシコ・シティに戻る。初めてティナ・モドッティに出会う。 |
| 1929年 |
ティナ・モドッティにディエゴ・リヴェーラを紹介される。モドッティの熱心な依頼で、エドワード・ウエストンに作品を送り、ウエストンはこの無名の作家を賞賛
し た。中央造形美術学校にて写真を教える。 |
| 1930年 |
ティナ・モドッティがメキシコから追放された後、モドッティが撮影していた雑誌『メキシコの習俗』の写真を引き継ぐ。『メキシコの壁画』(1966年出版)の
ために壁画を撮る。エイゼンシュテインの映画『QueViva
M支ico(メキシコ万歳)』でカメラを担当する。 |
| 1931年 |
ラ・トルテカ(セメント会社)の広告用写真で一等を受賞する。財務局を辞め、フリーランスとなる。ニューヨーク近代美術館が写真を購入する。 |
| 1932年 |
ポサダ・ギャラリー(メキシコ・シティ)にて個展。 |
| 1933年 |
ポール・ストランドに出会い、映画への興味が深まる。 |
| 1934年 |
映画『テウワンテペック』を製作する。 |
| 1935年 |
アンリ・カルティエ=ブレッソンに出会う。カルティエ=ブレッソン、ウォーカー・エヴァンスとともにニューヨーク、ジュリアン・レヴィ・ギャラリーにてグループ展を行う。 |
| 1936年 |
シカゴにて数ヶ月間写真を教え、シカゴのフル・ハウスにて展覧会を行う。 |
| 1938年 |
アンドレ・ブルトンに出会い、同年メキシコ・シティで行われるシュールレアリスムの展覧会への出品を乞われる。サン・カルロス国立芸術アカデミーにて写真を教える |
| 1939年 |
3年間メキシコ・シティにて写真スタジオを開く。ルヌ・エ・コル(パリ)で行われたブルトン企画のメキシコ美術全般を紹介する展覧会に展示される。 |
| 1942年 |
ドリス・ヘイデンと結婚。フォト・リーグ・ギャラリー(ニューヨーク)にて個展。 |
| 1943年 |
シカゴ・アート・インスティチュートにて個展。1959年まで主に映画カメラマンとして仕事をする。 |
| 1945年 |
現代美術協会(メキシコ)にて個展。 |
| 1947年 |
イスラエルとの文化交流企画の一環としてグループ展に参加。 |
| 1955年 |
モスクワ近代美術館にて個展。 |
| 1955年 |
ニューヨーク近代美術館で行われたエドワード・スタイケン企画の「ファミリー・オブ・マン」展の出品写真家に選ばれる。 |
| 1959年 |
美術書の出版を主な目的として「メキシコ造形美術出版基金」の共同創立者となる。 |
| 1960年 |
ヨーロッパに一年間滞在し、美術館などを訪れる。 |
| 1961年 |
パリ国立図書館の肖像写真室にて展示される。 |
| 1962年 |
現在の妻、コレット・ウルバフテルと結婚。 |
| 1966年 |
メキシカン・アート・ギャラリー(メキシコ)にて個展。 |
| 1968年 |
国立芸術院(メキシコ・シティ)にて個展。 |
| 1971年 |
パサデナ美術館(アラブ首長国連邦)にて個展。 |
| 1972年 |
ウィトキン・ギャラリー(ニューヨーク)にて個展。国が購入した400枚の写真が国立芸術院(メキシコ)にて展示される。 |
| 1974年 |
メキシコ教育省よりスラスキー芸術賞を受賞。 |
| 1975年 |
権威あるメキシコ国民芸術賞を受賞する。 |
| 1976年 |
プラスティカス・メヒカーナ(メキシコ)、フォト・ギャラリー(パリ)、フォトグラファーズ・ギャラリー(ロンドン)、ニセフォール・ニエプス博物館(フランス、シャロンシュール・サオヌ)にて個展。 |
| 1977年 |
コーコラン・ギャラリー(ワシントン)、アリゾナ大学(ツーソン)にて展覧会。 |
| 1978年 |
サンフランシスコ・アート・インスティチュートにて展覧会。 |
| 1980年 |
アガト・ガイヤール・ギャラリー(パリ)にて個展。メキシコ芸術アカデミーの名誉会員となる。 |
| 1983年 |
イスラエル美術館(エルサレム)にて本格的な回顧展と図録が制作される。同展はヘルシンキ、ブラッドフォード、ロンドンへ巡回。偉大な写真家シリーズの一冊として写真集『M.A.Bravo』出版。(ミラノ、ファブリ編集、解説ジュリアーナ・シーメ) |
| 1984年 |
第三回隔年ラテン・アメリカ写真展にて展示。(キューバ、ハバナ)テレビサ文化財団の要請を受けて、写真美術館創立を実施。ハッセルブラッド賞(スウェーデ ン)を受賞。エクアドルのキトにて個展。 |
| 1985年 |
サンパウロ、マドリッドにて個展。(マドリッド国立図書館が図録制作) |
| 1986年 |
国立近代美術館にて大回顧展。前展覧会より50周年を記念してメキシコ国立芸術院にて展覧会。ロチェスター工科大学(ニューヨーク)、パリの国立近代美術館にて展覧会。(フランソワーズ・マルケにより図録制作) |
| 1987年 |
国際写真センター(ニューヨーク)にて個展。同館よりマスター・オブ・フォトグラフィー賞を受賞。アパチャー写真シリーズより写真集出版。(解説A.D.コールマン)ポルトガルのコインブラ、カスケスにて展覧会。 |
| 1988年 |
ショーンバウム・アンド・ルセック・ギャラリー(ニュー・メキシコ州、サンタフェ)にて展覧会。 |
| 1989年 |
3月、ウィトキン・ギャラリー(ニューヨーク)、6月、メキシコ現代美術文化センターにて回顧展。8月、国立芸術院にて「ムーチョ・ソル(太陽がいっぱい)」展。同月、経済文化基金より「リオ・デ・ルス(光の河)」シリーズ出版。10月、ブエノス・アイレス近代美術館にて展覧会。 |
| 1990年 |
サンディエゴ写真美術館に始まるアーサー・オルマン企画の巡回展覧会「知られざるマヌエル・アルバレス・ブラボの芸術のすべて」、1994年までの4年間全米を巡回する。 |
| 1991年 |
ドイツ、レーバークーゼン市およびアグファ・ゲバルト・レーバークーゼンよりフーゴ・エアフート国際写真賞を受賞。 |
| 1992年 |
サロン・ド・プラスティカス・メヒカーナにおいてトラクイーロ・デ・プラタ賞(写真家に与えられる最高の賞)が授与され、その栄誉を祝して「芸術家とモデル (写真によるヌード)」展が開催される。 |
| 1995年 |
ナショナル・アーツ・クラブ(ニューヨーク)よりフォトグラフィー・ゴールド・メダル賞を受賞。映像センター(メキシコ・シティ)にてライカ・エクセレンスメダルを授与され、マザー・ジョーンズ財団とライカ・カメラグループより表彰を受ける。ポルトガル大統領より功労大十字を受賞。同賞は国会によって96年公式に受賞する。 |
| 1996年 |
オアハカにアルバレス・ブラボ写真センターが開館する。大学芸術協会(ニューヨーク)よりライフタイム・アチーブメント賞を受賞。サンディエゴ写真美術館よりセンチュリー・アワードを受賞。第五回ラテンアメリカ写真パネルディスカッションにて、映像センターより功績を讃えられる。 |
| 1997年 |
ニューヨーク近代美術館にて大規模な回顧展。(2月20日〜5月18日) |
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メキシコ・シティに近い歴史的地区、コヨアカン在住。 |