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ヤング・アート・タイペイ(Young Art Taipei)を訪れて

清里フォトアートミュージアム 学芸員・田村泰男


4月22日から24日まで3日間、台北にて開催されていた2016 Young Art Taipei(台湾)主催の写真ポートフォリオ・レビューに、レビューワーとして招かれ、現地へ行って参りました。 Young Art Taipeiは、現代美術のイベントとして8年前に始まり、3年前より写真もその一部門となりました。 _DSC3753-1

台北市内に掲げられたYoung Art Taipeiのバナー

台北市内に掲げられたYoung Art Taipeiのバナー

【Young Art Taipei】 会場は、台北市内にあるシェラトンホテル。9階のフロアーを貸し切り、出展者は1室を1ブースとして展示しています。ホテルのベッドの上は勿論、バス・トイレまで使っての展示です。最終日の会場は大勢の若い人で溢れ、熱気と盛り上りが感じられました。日本からの出展者もあり、中にはYPOB(山本功巳氏、山内悠氏、松井泰憲氏)が自分の作品や写真集を販売する姿も見られました。頼もしい限りです。

左はM.Y.Ku. ART PROJECTの山本功巳氏(YPOB)。右は、現在「YP2015」 にて作品展示中の松井泰憲氏。

左はM.Y.Ku. ART PROJECTの山本功巳氏(YPOB)。右は、現在「YP2015」
にて作品展示中の松井泰憲氏。

赤々舎ブースにて。ポートフォリオ・レビュー審査員と赤々舎の姫野希美氏(左から5人目)、右から2人目はYPOBの山内悠氏。赤々舎から出版した写真集を自ら販売しておりました。私、田村は左端です。

赤々舎ブースにて。ポートフォリオ・レビュー審査員と赤々舎の姫野希美氏(左から5人目)、右から2人目はYPOBの山内悠氏。赤々舎から出版した写真集を自ら販売しておりました。私、田村は左端です。

1839 Contemporary Galleryディレクター・邱奕堅氏(右)と山内悠氏。

1839 Contemporary Galleryディレクター・邱奕堅氏(右)と話す山内悠氏。

【ポートフォリオ・レビュー】

台北芸術村  

台北芸術村

審査員全員での記念撮影

審査員全員での記念撮影

ポートフォリオ・レビューは、4月23日、台北駅から徒歩10分の場所にある台北芸術村にて行われました。審査員は全11名。台湾5名、日本3名、韓国、香港、北アイルランドより各1名でした。 一番右がポートフォリオ・レビューのディレクター・沈昭良氏(写真家)です。日本からは、田村の他、菅沼比呂志氏(ガーディアン・ガーデン)、姫野希美氏(赤々舎)が審査員として招かれていました。 レビューの参加者は26名で、一人の審査員が12人のポートフォリオ・レビューを行います。すべての作品を見た後に、審査員の投票でベスト・ポートフォリオを1名選考しました。台湾の作家の作品には、台湾の現在を捉えたものが目立ちました。その中でベスト・ポートフォリオに選ばれたのが李岳凌氏の“Listening to the Dark”で、台湾の夜の街をスナップしたカラー作品で、幻想的でした。ヤング・ポートフォリオへの応募を勧めましたが、残念ながら40歳とのこと。今後の活躍が期待される作家です。 また、ベスト・ポートフォリオに最後まで残った陳淑貞さんの“After”が審査員特別賞に選ばれました。この作品はホテルの客が帰った後の部屋の様子を撮った作品で、選考員に強い印象を与えておりました。この二人以外にも台湾の写真表現の広がりとレベルの高さを感じました。 ポートフォリオ・レビュー参加者の中には松井泰憲氏、ハオ・リー(台湾)氏、チョン・コクユウ氏(マレーシア)などYP作家の姿もありました。 ベスト・ポートフォリオ:李岳凌“ Listening to the Dark”

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

 

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

李4

Yehlin Lee “Listening to the Dark”

 

Yehlin Lee “Listening to the Dark”  cYehlin Lee

Yehlin Lee “Listening to the Dark”  cYehlin Lee

審査員特別賞:陳淑貞“After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After”

Chen Shu Chen “After” cChen Shu Chen

Chen Shu Chen “After”
cChen Shu Chen

【アートフォーラムでのYPレクチャー】 ポートフォリオ・レビューの翌日、同じ会場にてアートフォーラムが開催されました。韓国、日本、台湾からの講師が、スライドを使ってそれぞれの国の写真事情を解説。参加者は約60名。若い人が中心で、大変熱心に見ていました。 私はYPについてのスライドショーを行い、応募を呼び掛けてきました。終了直後に、「応募します」という声を直に聞くことができました。

ガーディアン・ガーデンの菅沼氏(右)

ガーディアン・ガーデンの菅沼氏(右)

沈昭良氏による開会の挨拶

沈昭良氏による開会の挨拶

KMoPAは、2014年のTaipei Photo Show (TAPS)にて、事務長の小川によるYPレクチャーを行っております。2015年度YP募集に早速その影響は現れ、台湾のハオ・リー、シム・チャン、ウォン・ウェイ・チョン3人の作品を収蔵いたしました。 台湾では2度目となる今回のレクチャーでも、現地の作家たちと直接言葉を交わし、作品を見るということが、作家にとっても、KMoPAにとっても、良い結果に繋がることを期待します。今後も積極的に機会をとらえて、台湾をはじめ世界の国々に広くYPを知っていただき、ご応募いただきたいと思っております。

Curator’s Choice

大原治雄作品を語るトークを終えて

清里フォトアートミュージアム 学芸員・山地裕子


2016年11月12日、「大原治雄作品を写真家の視点で読み解く」をテーマに写真家・平間至氏のトークを開催いたしました。また、10月21日に行った内覧会には、大原作品の所蔵館であるモレイラ・サーレス財団キュレーターのセルジオ・ブルジ氏と、駐日ブラジル大使館文化参事官ペドロ・ブランカンチ氏がご来館。ブルジ氏による解説と平間氏のトークを、併せてご紹介いたします。

内覧会にて大原治雄作品を解説するセルジオ・ブルジ氏

内覧会にて大原治雄作品を解説するセルジオ・ブルジ氏(10/21)

写真家・平間至氏

写真家・平間至氏によるトーク(11/12)

開催館によって異なる展示レイアウト

平間氏は、高知県立美術館、伊丹市美術館にて開催された大原展をご覧になられた経緯から、KMoPAでの大原展が「音楽に例えると、別のアレンジ」と表現されました。巡回展は、展示会場によって見え方が異なるケースがありますが、KMoPAでは、他館よりも展示スペースの狭いことが良い方向に働き、「一枚一枚が共鳴し合って、全体がより強い力で伝わってきた」と。また、ブルジ氏も同様に、当館のレイアウトについて「展示室全体が大原の手製のアルバムを想起させる。 小さなイメージを集めて見せることで、イメージ同士の関係性も良く表している。」と評価してくださいました。

展示室1

展示室1

展示室2

展示室2

お二人の印象は、まさに本展の展示レイアウトに込めた意図だったのですが、さらに説明を加えますと、大原作品のプリントは、比較的柔らかな調子で、サイズが大きくのびのびとしています。淡々とした印象になることを避けるため、モノクロ・プリントを上下左右に集合させ密度を高めました。モノクロのイメージ同士を近づけることによって、それぞれの中にある“黒”が集合し、壁面全体のインパクトが高まります。例えば、展示冒頭の開拓時代も、労働の苦難の表現は非常に控えめですが、写真を集合させることで、その厳しさや、農業従事者ならではの眼差しも見えて来るよう、また抽象作品は、グラフィック的な配置をすることによって、大原氏の優れた画面構成力や繊細な視点を生かせるよう、そして家族の写真は、大原氏自身が作成した家族のアルバム帖をイメージしながら、日々の出来事と思い出を重ねて行く、家族の歴史を感じられるよう、それぞれ期待を込めてレイアウトしています。

大原作品に見る客観性

平間氏は、まず最初に、大原氏が巨木を倒したセルフポートレイトの作品を前に、重要なポイントの一つを、セルフポートレイトに見る「客観性」と指摘されました。例えば、コーヒー農園が霜害の被害を受けた後、大原は「参ったな」と頭を掻く写真をセルフポートレイトで撮影、そして本展のメインイメージとしている《朝の雲》においては、霜害を乗り越え、自ら原生林を切り開いたからこそ生まれた雄大な空をバックに、くわえ煙草で、手のひらで鍬を操るセルフポートレイトを撮影。それぞれに、かなりの演出を考え、コントロールされた写真によって、“余裕”のある自分を見せ、同時にコントロールできない自然の偶然性を上手く組み込むことで写真が一層魅力的なものになっているのです。

霜害後のコーヒー農園、パラナ州ロンドリーナ、1940年頃 ?Haruo Ohara / Instituto Moreira Salles Collection

霜害後のコーヒー農園、パラナ州ロンドリーナ、1940年頃 ⒸHaruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

朝の雲、パラナ州テラ・ボア、1952年 ?Haruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

朝の雲、パラナ州テラ・ボア、1952年 ⒸHaruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

大原は、17歳でブラジルへ移住してから約70年間、欠かさず日記を書き続けました。自分は今、どのような状況にあって、どう感じているのか。日々の天候の移り変わりから、写真用品を含む日々の買い物まで、いっさいを書き留めていたと言います。徹底して自分を客観的に見る資質に加えて、持ち前のユーモアのセンスと洒落っ気。例えば、普段は裸足で遊び回っている子どもたちに、撮影時には真っ白なシャツを着せるなど、質素な中にも美意識と粋が感じられます。大原の写真には、撮影時の演出にかける情熱と、客観的な視点とがバランス良く働いているのです。これらの写真は、発表して、高い評価を得たいなどという欲とは無関係でありながら、撮影に注いだ情熱が明らかに伝わってくる写真だからこそ、私たちは心動かされるのではないでしょうか。

家族という「実り」、日本に続く「空」

治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ、パラナ州ロンドリーナ、富田農園、1955年 ?Haruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ、パラナ州ロンドリーナ、富田農園、1955年 ⒸHaruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

「大原作品で印象的なのは、コーヒーや柿などの『実り』。子どもも、大原さんにとっては実りのようなものですよね。大原さんの写真には、土の匂いがあるけれど、品格があるというところが最も魅力のあるところではないでしょうか。」と平間氏。脚立から飛び下りる女の子と、脚立を支える少年の写真は、大原作品を象徴する一枚です。この写真で印象的なのは、画面の下部を比較的大きく占める大地。「大地は命の象徴であり、空は日本と繋がっている。危ういようで安定した三角形と鋭角的な印象、それは人としての志、プラス美意識。そして、みのりの象徴である子ども、いろんな要素で象徴的に伝えている写真だと思います。」この写真から想起される植田正治の写真との比較について平間氏は、「(植田正治作品では)鳥取砂丘がホリゾントという言われ方をするけれど、大原さんは、大地と空がホリゾントなのだろうと思う。そこにグラフィックな要素を持って来ている。二人に共通するのは、泥くささや、日本的な情緒性を伝えようとしていないところ。良い意味でドライでありポップ。いろんな象徴的な要素がありながらも、グラフィックとしてとらえているところが似ているところではないでしょうか。(このシーンを)8回撮影して、女の子は楽しそうだが、もう飽きてしまった男の子のぽかんとした表情との差も魅力になっている。カメラアングルがかなり低く、地面を意識的に感じながら撮っている。地面と近づきたいという気持ちで撮っていることがわかる。」と写真家ならではの目線で、丁寧に読み解いてくださいました。 大原作品のセルジオ・ブルジ氏によると、大原は、ある朝、娘を早く起してこの撮影を始め、何度も飛び降りた様子がネガに残っているとのこと。大原が、20世紀初頭のフランスの写真家ジャック・アンリ=ラルティーグのように、即興性とステージ性を持つ写真の特徴を生かし、さまざまな要素をミックスして写真作品を作り上げていく、大変クリエイティブなman of drawing(絵の人)だったと表現しています。

銀婚式の空

展示室2最後部

展示室2最後部

展覧会の最後部には、幸夫人の写真を展示しています。1938年、大原がカメラを入手して初めて撮影した一枚、それはオレンジの木の隣で微笑む幸夫人の写真でした。夫人は泥だらけのエプロンを着ています。「撮られるほうも、撮っているほうも初々しい。」と平間氏。その写真の隣に展示した作品は、1940年の撮影で、「農園で仕事をする大原にお弁当を届ける幸夫人」ですが、この写真の幸夫人のエプロンは全く汚れていません。「完全に演出されているのに、自然に見える一枚。日常の中では自然なことを、あえて再現して撮っている。自然さと演出が微妙に重なり合って、この作品の魅力になっているように思う。」また幸夫人と同じ構図のセルフポートレイトでは、室内で写真集を片手に、片手にはコーヒーカップ、口にはつまようじ・・・平間氏は「大原にとって、この“余裕”が、キーワードなのでしょうね。若くして日本から移住し、こんな生き方をした人間がいる、自分の生き様を残しておきたかったというメッセージを感じます。」 幸夫人を撮影した最後のポートレイトの隣には、二人の銀婚式の写真。通常銀婚式の写真と言えば、写真館のスタジオで、あるいは夫婦が力を合わせて建てた家の前に立ってカメラの方を向いている、などの写真を想像します。しかし、大原の銀婚式の写真は、ひたすら大きな空に向かい、大地に力強く立つ二人の後ろ姿なのです。その大地には、木は一本も見えず、草が見えるのみ。「空は日本と繋がっている、一度も帰らなかった大原さんの日本への思いを、僕は空を通して感じる」と平間氏。腕を組んだ二人の背中は、凛として、清々しさ、潔さなど、美徳を追い求めた大原の生き方が象徴的に表されています。 丁寧に構図や光を計算し、撮影された大原の写真。これらは一家族の写真の記録でありながら、これらの表現が後世の人間にも大きな影響を与えているということを、私たちも展覧会を通して目の当たりにしました。平間氏も「これは写真以外ではあり得ないこと。大原さんは、本当に人としてまっとうで素敵な方だったのではないかと感じます。それが写真に反映し、みんなの心を打っている。僕もちゃんとしないと。(笑)」平間氏の、示唆に富み、暖かなコメントに、うなずきながらトークに聴き入る参加者の様子が大変印象的でした。 最後にいくつかご質問を受けた後、参加者の中の男性が、サンパウロ生まれの日系三世だと自己紹介してくださいました。現在、環境教育研修のため清里のキープ協会に滞在中の鈴木エルメスさんは、祖父が京都から17歳でブラジルへ移住。母親は大原と同じロンドリーナ生まれとのこと。祖父母は、日本語で話すことは恥ずかしいことだと、常にポルトガル語で話していたそうです。第二次大戦後、戦勝国ブラジルに住む日系人が苦難を強いられたことをご存知の方も多いと思いますが、鈴木さんの祖父母は、写真や日本語の本を箱に入れて地中へ埋め、祖母は自死を選択されたそうです。目の前の鈴木さんの明るいキャラクターからは、全く想像出来ない現実を私たちは耳にしました。同時代に生きた大原が敢えて撮影しなかったほどの苦しみと、多くの日系人が血と汗を流した時代に思いを寄せ、ブラジルに生きる日系の人々と、大原の写真を介して心を交わす喜びを感じた濃密な時間となりました。

「昨日まかれた種に感謝、今日見る花を咲かせてくれた」 

家族の集合写真、パラナ州ロンドリーナ、シャカラ・アララ、1950年頃 ?Haruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

家族の集合写真、パラナ州ロンドリーナ、シャカラ・アララ、1950年頃 ⒸHaruo Ohara / Instituto Moreira Salles collection

生涯、農業従事者として、写真はアマチュアを貫いた大原。ブラジルで大原の初の個展“Olhares”(「眼差し」)が開催されたのは1998年、89歳で亡くなる前年のことでした。大変な注目を集め、以後続々と個展が開催されただけでなく、伝記Uma Biografio de Haruo Ohara: Lavrador de Imagens「大原治雄伝 像を耕す人」が出版され、また、若手の映像作家が、その人生を、大原の写真から忠実に再現した短編映画Haruo Oharaを制作して受賞するなど、ブラジルでの評価は急激に高まりました。この現象から見えることは、大原が生きるうえで、最も大切にした「大地」や「家族」、ブラジルであれ、日本であれ、今多くの人が、知られざる巨匠・大原治雄の写真から、とても根源的な問いを突きつけられているということを感じます。 本展に際し、キーとなる文章として、使用した大原の言葉があります。 「昨日まかれた種に感謝、今日見る花を咲かせてくれた。」 農業を生業とした大原らしい言葉ですが、この「種」とは、大原の写真が象徴するもの、大原作品のエッセンスとも言えるのではないでしょうか。明日の花のために、今日種をまく、それが生きるということなのだと。大原の写真というこの「種」が、ブラジル、日本だけでなく、今後さらに多くの国でまかれ、実りを付けて行くことを心から願ってやみません。

YPOBインタビュー「あれから、これから」#1: 山口理一

清里フォトアートミュージアム学芸員 山地裕子


KMoPAは、昨年開館20周年を迎え、90年代に作品を収蔵したYP作家は現在40代後半。それぞれの世界で活躍しています。KMoPAにとって、“YPOB”の活躍は最も嬉しいことであり、私たちは今後もYPOBの活動に注目して参ります。

開催中の「2015年度ヤング・ポートフォリオ」展。チラシや小冊子を例年のように制作いたしましたが、この春は、印刷会社のご担当に新しい顔ぶれがありました。プリンティング・ディレクターとして御担当くださったのは、なんとYPOB。2003年と05年に大型の作品を収蔵した山口理一さんだったのです。

山口理一《110305》2003年 (発色現像方式プリント、64.9×89.8cm、当館蔵)

山口理一《110305》2003年
(発色現像方式プリント、64.9×89.8cm、当館蔵)ⒸRiichi Yamaguchi

山口さんは、1971年生まれ。1991年に渡米し、School of Visual Arts(NY)を卒業後、写真家・杉本博司氏のアシスタントを6年間つとめ、2004年に帰国。トーキョーワンダーサイトを経て、現職のプリンティング・ディレクターとなられました。ところが、山口さんは、フルタイムで印刷会社に勤務しながら毎年新作を内外の展覧会で発表しています。これは容易に出来ることではありません。山口さんに、アメリカ滞在中に目覚めた写真への興味、現在も継続して制作するエネルギーの源は?現在のYP作品について思うことなどをインタビューしてみました。

* * *

K’MoPA:山口さんの作品を最初にYPで収蔵したのは2003年度でしたが、この作品はニューヨークに滞在中の作品ですね。YP応募の理由は?

日本人の同僚から聞きました。当時、実験的な試みとして裸体のシリーズを撮り始めたところで、作品についての客観的な評価が知りたくて応募しました。美術館に収蔵されることは、たとえ評価の定まらない作家であろうと「殿堂入り」には違いありません。そういった意味でも、収蔵されたことが大きな励みになったと記憶しています。

K’MoPA:応募した全作品の中から数枚が選考されたかと思いますが、その選択についてどう思われましたか?

選考された作品について、審査員が何を感じ取ったのだろうと考えました。それが視覚的なインパクトなのか、現代アート的な特徴なのか、私が意図しないような文脈だったのか。選ばれた写真の持っていた作品の意味を自分なりに噛み砕き、その後の作品にも反映させることができたように思います。

K’MoPA:初めて買った写真集を覚えていますか?

アンセル・アダムスの『The Negative』です。写真集というよりも、アダムスの風景写真の撮影場所や天気、露出や現像方法などが仔細に説明されている本です。

アンセル・アダムス著、The Negative、1957年

アンセル・アダムス著、The Negative、1957年

私が写真に興味を持ったきっかけは、アメリカ西海岸の大学で受けた地理学の授業でした。地層や雲をスライド用フィルムで撮影するという課題が出て、生徒がスライドを見せ合いながら先生がレクチャーをするという内容でした。フィルム撮影だったので、自分ではうまく撮ったつもりでも現像してみたら真っ黒という結果もしばしば。現像代やフィルム代が無駄ですし、少しは撮影の技術を身につけようと、ある日書店で手にしたのが『The Negative』でした。その時に感じたアダムス作品の現実離れした美しさは今でも忘れられません。

K’MoPA:山口さんの作品が収蔵されたのは2003年度、2005年度YPでした。山口さんの初期作品の時代は、振り返ってどんな時代でしたか?

その頃は、ニューヨークの美大を卒業して、写真家の杉本博司氏のアシスタントをしていました。自身の作家活動としては、卒業後はしばらく家に篭って静物写真の作品を作っていましたが、これといった成果もなく、ふと気がついたら30歳が目前に迫っていました。年齢的な焦りかもしれませんが、せっかくニューヨークにいるのだから、もっと積極的にいろいろな文化の人と関わりたいという想いが強く芽生えてきました。そして、自分の作風が変化することを期待して、人の写真を本格的に撮り始めることになったのです。

K’MoPA:杉本博司氏のスタジオでは、暗室でプリンティングもされていたそうですが、杉本さんから学んだこと、または最も影響を受けたことは何でしたか?

杉本氏のスタジオでは、全てを可能な限り自分たちの手で作り上げていきます。現像やプリント、仕上げのスポッティングや裏打ちはもちろんのこと、大がかりなスタジオスペースの改修なども外注せず、杉本氏が数名のアシスタントと一緒に作業します。 杉本氏は、若い頃に大工仕事をやっていた経験もあり、「ものづくり」においての職人的な部分をとても大切にしていました。事務所の移転時には、丸一年間、朝から晩まで全身おがくず、ペンキまみれになって広大なスタジオの大工仕事をしました。業者を雇って既製品を買い揃えれば1ヶ月で終わる作業ですが、収納棚や暗室、作業台など、使い易さを徹底的に考え抜いて、時間をかけて作り上げていったのです。「神は細部に宿る」という建築家のことばがありますが、そういった細部をおろそかにしない姿勢が杉本作品の根底にあると感じました。

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)2004 ⒸRiichi Yamaguchi

K’MoPA:山口さんの作品には、複数の人間が折り重なる非日常的なシーンが多いですね。作品を見る側は衣服を着ているにも関わらずソワソワしてしまうような、独特の居心地を感じます。ご自身の写真を短く表現するとしたら?

裸体のシリーズを撮り始めてから、舞踏家やダンサーの動きを見る機会が増えました。そして、ふと冷静になって考える瞬間があります。彼らの身体の中に充満しているエネルギーって何なのだろう、と。最新のシリーズ“Transcending Our Limitations”では、人が生得的に持っているエネルギーに焦点を絞って制作してみました。

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)2015 ⒸRiichi Yamaguchi

 

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)2016 ⒸRiichi Yamaguchi

K’MoPA:印刷の仕事は大変お忙しいことと思いますが、山口さんは、作品制作を継続し、東京や北京のギャラリーでの展覧会や、イタリアのウェブサイト上で作品を発表されていますね。仕事と作家活動を両立させ、エネルギーを保つことは簡単ではないと思いますが、いかがですか?

確かに印刷の仕事は忙しいです。例えば化粧品会社の販促ポスターにしても写真集にしても、一度印刷して世に出たら二度と訂正はできないので、印刷直前までいろいろな確認・修正作業が続きます。締め切りまでの作業に追われるという意味では忙しいです。 当然、時間的な制約も大きいので、作品制作については「真剣に打ち込める趣味」という意識で取り組んでいます。ただ、写真の活動で得た知識や経験は、現職のプリンティング・ディレクターの仕事で大いに役立っています。言うまでもなく写真と印刷は密接な関係ですし、更にいえば一緒に仕事をするデザイナーや編集者から自分の写真活動に活かせるヒントを与えてもらうこともあります。仕事の領域とアマチュア活動の領域が重なっているので、バランスを保ちながら制作を続けていけるのだと思います。

K’MoPA:現在、作品制作において、最も大切にしていることは何ですか?また、ご自身はこれからどんな方向に向かっていくと感じていますか?

写真家・ダイアン・アーバスは生前「カメラとは、免許書(ライセンス)のようなもの」と言っていたそうです。写真家は、見知らぬ人に「写真家なので一枚撮らせもらってもいいですか?」と話しかけることが許されているということです。つまり写真を撮るという行為が他者とダイレクトに関わるきっかけになり得るということですね。私の場合も、撮る対象をモノから人に変えてから個性豊かな人たちと知り合うようになりました。例えば、撮影にモデルとして協力してくれた人たちが、実は亡命者、アダルトビデオ俳優、男女両方の性の特徴を持つ半陰陽だったり。彼らの生き方を知って、とても驚かされました。今後はそういった人物の内面に迫った作品も制作していきたいと思っています。

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)2001 ⒸRiichi Yamaguchi

K’MoPA: 2015年度YPの作品をご覧になられましたが、どのような印象を持たれましたか?ご自身のYPの時代と比べると、現在は何が最も大きな変化と感じますか?

10数年前は印画紙が主流だったの対して、インクジェット出力が多いという印象を受けました。ほとんどの作家はデジタル環境で作業しているということですね。 カラー印画紙に焼いていた時代は、コントラストは3段階(低/標準/高)しか選べませんでしたが、デジタル環境ではさまざまな表現が可能となります。色やコンントラストを調整することで、自分のメッセージをより効果的に伝えることができます。色彩の表情が豊かになっているという印象を受けました。 もうひとつは出力用紙。印画紙タイプの用紙が大半で、風合いのある用紙が少なかったようです。デジタル環境では、使える用紙の幅も広がります。例えばインクジェット出力の場合、和紙風の用紙や布などにも印刷することもできますし、作家の狙いに合った用紙を選ぶというのも面白いかもしれません。一つだけ確かなことは、どれだけデジタル時代となろうとも、モニター上のイメージと写真作品は物質感という意味で全く別物だということです。

K’MoPA:YPの後輩たち、またはKMoPAに対して何かメッセージがありましたら、お願いいたします。

アマチュアとして写真を続ける人にとっては「どうすれば自分の写真が(世の中の人にとって)見るに値するような作品になるのか?」と自問しながら制作を続けていくことが大切だと思っています。アマチュアは何をやっても「自由」なので独りよがりになりがち。共感を得られるかどうか、美しいと感じられるかどうか、作品の価値は、他者から与えられるもの。やはり第三者に作品を見てもらう機会が重要だと思います。今後KMoPAが、積極的にポートフォリオレビューなどの機会をつくっていけば、ますます日本の写真水準が高まっていくのではないでしょうか。

* * *

仕事と作家活動の両立 ? 多くの人が同じ悩みを抱えていると思います。自身を“アマチュア”と呼ぶ山口さんは、仕事と作家活動との境界を軽やかに往来しているようです。ラッシュ時のホームでインスピレーションを得たり、撮影のためのモデル探しなど、作品制作に必要な作業も時間の使い方次第。自らの内奥と現実世界を行きつ戻りつしながら、複数のピースを合わせてひとつのイメージに繋げ、仕上げて行く。最終的に完成させるまでには、忍耐とエネルギーが必要ですが、そこは少し時間をかけて熟成させることもできる。年齢を重ねると、作品を作ることの楽しみ方も意味合いも変わってくるようですね。アマチュア精神を持ち続けた写真家といえば植田正治やジャック=アンリ・ラルティーグですが、ウィン・バロックのようにプロの音楽家から趣味の写真を経て写真家となったように、後年になって花開くケースもあります。いずれにしても「表現者で有り続けるという生き方」は一人一人違って当然。ゆるやかに、そして自在に制作を続ける今後の山口さんの作品がどのように展開していくのか、大変楽しみです。 山口さんは、今月5/28(土)のYP公開レセプションにも出席されます。YPOBとして、そして印刷を担当したプリンティング・ディレクターとして。ぜひ世代やお仕事の境界を超えて皆様と交流されることを期待しています。

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