大原治雄作品を語るトークを終えて
清里フォトアートミュージアム 学芸員・山地裕子
2016年11月12日、「大原治雄作品を写真家の視点で読み解く」をテーマに写真家・平間至氏のトークを開催いたしました。また、10月21日に行った内覧会には、大原作品の所蔵館であるモレイラ・サーレス財団キュレーターのセルジオ・ブルジ氏と、駐日ブラジル大使館文化参事官ペドロ・ブランカンチ氏がご来館。ブルジ氏による解説と平間氏のトークを、併せてご紹介いたします。
開催館によって異なる展示レイアウト
平間氏は、高知県立美術館、伊丹市美術館にて開催された大原展をご覧になられた経緯から、KMoPAでの大原展が「音楽に例えると、別のアレンジ」と表現されました。巡回展は、展示会場によって見え方が異なるケースがありますが、KMoPAでは、他館よりも展示スペースの狭いことが良い方向に働き、「一枚一枚が共鳴し合って、全体がより強い力で伝わってきた」と。また、ブルジ氏も同様に、当館のレイアウトについて「展示室全体が大原の手製のアルバムを想起させる。 小さなイメージを集めて見せることで、イメージ同士の関係性も良く表している。」と評価してくださいました。
お二人の印象は、まさに本展の展示レイアウトに込めた意図だったのですが、さらに説明を加えますと、大原作品のプリントは、比較的柔らかな調子で、サイズが大きくのびのびとしています。淡々とした印象になることを避けるため、モノクロ・プリントを上下左右に集合させ密度を高めました。モノクロのイメージ同士を近づけることによって、それぞれの中にある“黒”が集合し、壁面全体のインパクトが高まります。例えば、展示冒頭の開拓時代も、労働の苦難の表現は非常に控えめですが、写真を集合させることで、その厳しさや、農業従事者ならではの眼差しも見えて来るよう、また抽象作品は、グラフィック的な配置をすることによって、大原氏の優れた画面構成力や繊細な視点を生かせるよう、そして家族の写真は、大原氏自身が作成した家族のアルバム帖をイメージしながら、日々の出来事と思い出を重ねて行く、家族の歴史を感じられるよう、それぞれ期待を込めてレイアウトしています。
大原作品に見る客観性
平間氏は、まず最初に、大原氏が巨木を倒したセルフポートレイトの作品を前に、重要なポイントの一つを、セルフポートレイトに見る「客観性」と指摘されました。例えば、コーヒー農園が霜害の被害を受けた後、大原は「参ったな」と頭を掻く写真をセルフポートレイトで撮影、そして本展のメインイメージとしている《朝の雲》においては、霜害を乗り越え、自ら原生林を切り開いたからこそ生まれた雄大な空をバックに、くわえ煙草で、手のひらで鍬を操るセルフポートレイトを撮影。それぞれに、かなりの演出を考え、コントロールされた写真によって、“余裕”のある自分を見せ、同時にコントロールできない自然の偶然性を上手く組み込むことで写真が一層魅力的なものになっているのです。
大原は、17歳でブラジルへ移住してから約70年間、欠かさず日記を書き続けました。自分は今、どのような状況にあって、どう感じているのか。日々の天候の移り変わりから、写真用品を含む日々の買い物まで、いっさいを書き留めていたと言います。徹底して自分を客観的に見る資質に加えて、持ち前のユーモアのセンスと洒落っ気。例えば、普段は裸足で遊び回っている子どもたちに、撮影時には真っ白なシャツを着せるなど、質素な中にも美意識と粋が感じられます。大原の写真には、撮影時の演出にかける情熱と、客観的な視点とがバランス良く働いているのです。これらの写真は、発表して、高い評価を得たいなどという欲とは無関係でありながら、撮影に注いだ情熱が明らかに伝わってくる写真だからこそ、私たちは心動かされるのではないでしょうか。
家族という「実り」、日本に続く「空」
「大原作品で印象的なのは、コーヒーや柿などの『実り』。子どもも、大原さんにとっては実りのようなものですよね。大原さんの写真には、土の匂いがあるけれど、品格があるというところが最も魅力のあるところではないでしょうか。」と平間氏。脚立から飛び下りる女の子と、脚立を支える少年の写真は、大原作品を象徴する一枚です。この写真で印象的なのは、画面の下部を比較的大きく占める大地。「大地は命の象徴であり、空は日本と繋がっている。危ういようで安定した三角形と鋭角的な印象、それは人としての志、プラス美意識。そして、みのりの象徴である子ども、いろんな要素で象徴的に伝えている写真だと思います。」この写真から想起される植田正治の写真との比較について平間氏は、「(植田正治作品では)鳥取砂丘がホリゾントという言われ方をするけれど、大原さんは、大地と空がホリゾントなのだろうと思う。そこにグラフィックな要素を持って来ている。二人に共通するのは、泥くささや、日本的な情緒性を伝えようとしていないところ。良い意味でドライでありポップ。いろんな象徴的な要素がありながらも、グラフィックとしてとらえているところが似ているところではないでしょうか。(このシーンを)8回撮影して、女の子は楽しそうだが、もう飽きてしまった男の子のぽかんとした表情との差も魅力になっている。カメラアングルがかなり低く、地面を意識的に感じながら撮っている。地面と近づきたいという気持ちで撮っていることがわかる。」と写真家ならではの目線で、丁寧に読み解いてくださいました。 大原作品のセルジオ・ブルジ氏によると、大原は、ある朝、娘を早く起してこの撮影を始め、何度も飛び降りた様子がネガに残っているとのこと。大原が、20世紀初頭のフランスの写真家ジャック・アンリ=ラルティーグのように、即興性とステージ性を持つ写真の特徴を生かし、さまざまな要素をミックスして写真作品を作り上げていく、大変クリエイティブなman of drawing(絵の人)だったと表現しています。
銀婚式の空
展覧会の最後部には、幸夫人の写真を展示しています。1938年、大原がカメラを入手して初めて撮影した一枚、それはオレンジの木の隣で微笑む幸夫人の写真でした。夫人は泥だらけのエプロンを着ています。「撮られるほうも、撮っているほうも初々しい。」と平間氏。その写真の隣に展示した作品は、1940年の撮影で、「農園で仕事をする大原にお弁当を届ける幸夫人」ですが、この写真の幸夫人のエプロンは全く汚れていません。「完全に演出されているのに、自然に見える一枚。日常の中では自然なことを、あえて再現して撮っている。自然さと演出が微妙に重なり合って、この作品の魅力になっているように思う。」また幸夫人と同じ構図のセルフポートレイトでは、室内で写真集を片手に、片手にはコーヒーカップ、口にはつまようじ・・・平間氏は「大原にとって、この“余裕”が、キーワードなのでしょうね。若くして日本から移住し、こんな生き方をした人間がいる、自分の生き様を残しておきたかったというメッセージを感じます。」 幸夫人を撮影した最後のポートレイトの隣には、二人の銀婚式の写真。通常銀婚式の写真と言えば、写真館のスタジオで、あるいは夫婦が力を合わせて建てた家の前に立ってカメラの方を向いている、などの写真を想像します。しかし、大原の銀婚式の写真は、ひたすら大きな空に向かい、大地に力強く立つ二人の後ろ姿なのです。その大地には、木は一本も見えず、草が見えるのみ。「空は日本と繋がっている、一度も帰らなかった大原さんの日本への思いを、僕は空を通して感じる」と平間氏。腕を組んだ二人の背中は、凛として、清々しさ、潔さなど、美徳を追い求めた大原の生き方が象徴的に表されています。 丁寧に構図や光を計算し、撮影された大原の写真。これらは一家族の写真の記録でありながら、これらの表現が後世の人間にも大きな影響を与えているということを、私たちも展覧会を通して目の当たりにしました。平間氏も「これは写真以外ではあり得ないこと。大原さんは、本当に人としてまっとうで素敵な方だったのではないかと感じます。それが写真に反映し、みんなの心を打っている。僕もちゃんとしないと。(笑)」平間氏の、示唆に富み、暖かなコメントに、うなずきながらトークに聴き入る参加者の様子が大変印象的でした。 最後にいくつかご質問を受けた後、参加者の中の男性が、サンパウロ生まれの日系三世だと自己紹介してくださいました。現在、環境教育研修のため清里のキープ協会に滞在中の鈴木エルメスさんは、祖父が京都から17歳でブラジルへ移住。母親は大原と同じロンドリーナ生まれとのこと。祖父母は、日本語で話すことは恥ずかしいことだと、常にポルトガル語で話していたそうです。第二次大戦後、戦勝国ブラジルに住む日系人が苦難を強いられたことをご存知の方も多いと思いますが、鈴木さんの祖父母は、写真や日本語の本を箱に入れて地中へ埋め、祖母は自死を選択されたそうです。目の前の鈴木さんの明るいキャラクターからは、全く想像出来ない現実を私たちは耳にしました。同時代に生きた大原が敢えて撮影しなかったほどの苦しみと、多くの日系人が血と汗を流した時代に思いを寄せ、ブラジルに生きる日系の人々と、大原の写真を介して心を交わす喜びを感じた濃密な時間となりました。
「昨日まかれた種に感謝、今日見る花を咲かせてくれた」
生涯、農業従事者として、写真はアマチュアを貫いた大原。ブラジルで大原の初の個展“Olhares”(「眼差し」)が開催されたのは1998年、89歳で亡くなる前年のことでした。大変な注目を集め、以後続々と個展が開催されただけでなく、伝記Uma Biografio de Haruo Ohara: Lavrador de Imagens「大原治雄伝 像を耕す人」が出版され、また、若手の映像作家が、その人生を、大原の写真から忠実に再現した短編映画Haruo Oharaを制作して受賞するなど、ブラジルでの評価は急激に高まりました。この現象から見えることは、大原が生きるうえで、最も大切にした「大地」や「家族」、ブラジルであれ、日本であれ、今多くの人が、知られざる巨匠・大原治雄の写真から、とても根源的な問いを突きつけられているということを感じます。 本展に際し、キーとなる文章として、使用した大原の言葉があります。 「昨日まかれた種に感謝、今日見る花を咲かせてくれた。」 農業を生業とした大原らしい言葉ですが、この「種」とは、大原の写真が象徴するもの、大原作品のエッセンスとも言えるのではないでしょうか。明日の花のために、今日種をまく、それが生きるということなのだと。大原の写真というこの「種」が、ブラジル、日本だけでなく、今後さらに多くの国でまかれ、実りを付けて行くことを心から願ってやみません。