ヤング・ポートフォリオの出発点「25人の20代の写真」
開館前の準備室において、清里フォトアートミュージアムの三つの基本理念に基づいた展覧会として何が望ましいのかを、5名の美術館設立準備委員(浅井栄一委員、荒井宏子委員、澤本徳美委員、松本徳彦委員、細江英公館長)に議論していただき、館の活動のなかで、最もヴァイタルなものとなるであろう「若い力の写真:ヤング・ポートフォリオ」を具現化することに主眼をおいた。
これから館が始めようとするヤング・ポートフォリオ、すなわち現代の若い写真家たちを「美術館による作品の購入」によって刺激し、激励するためには、日本写真界の第一線で活躍する現存作家の20代の作品を展示することがベストであろう。しかも、それらの作品はすべてパーマネント・コレクションとして収蔵すると決定された。
25人の作家選定にあたっての条件には、下記の4点が挙げられた。
1)現存作家であること。
2)第二次世界大戦後に20代を迎えた人であること。(終戦時に30歳未満)
3)30歳未満に撮影し、あるいは発表した当該作品が本人にとって重要な作品であり、かつ一般にもインパクトを与えたものであること。
4)当該作品のネガが現存すること。
これら「25人」の写真家の20代当時には、日本に写真美術館は存在しておらず、写真専門美術館としては、東京都写真美術館の1990年の開館を待たなければならなかった。それ以前には、川崎市民ミュージアム(1988年)、横浜美術館(1989年)などが写真部門を持つ美術館として開館している。
すでに長年のキャリアを持つ作家の作品が美術館に収蔵される場合、初期またはデビュー作よりも後年の代表作が選ばれるケースが一般的だろう。そこで、清里フォトアートミュージアムが特徴としたのは、作家のいわば「原点」となる作品を収蔵したところである。なぜあえて原点なのかという点は、作家としての細江館長の体験が大きいだろう。
「25人」の作品に勝るとも劣らないエネルギッシュな作品を、ヤング・ポートフォリオに見いだしたいという、私たちの希望も込められている。あれから19年。その希望が叶ったのかどうかを確かめる最高の機会が、いよいよこの8月に訪れようとしている。
「25人」の作家には、これまで、毎年どなたかにヤング・ポートフォリオの選考委員となっていただいた。「25人」の方々が一巡した後に、新たに選考をお願いした作家も含めて、これまで35人に選考委員をお願いしてきた。選考委員の全員が現役の写真家であることも大きな特徴となっている。長年活動してきた故に、若い作家の道程が手に取るようにわかる。作品に込められた思いを受け止め、尊重しつつ、約6000枚の作品から購入作品を選考する。
ヤング・ポートフォリオのヴィジョンのひとつである連続応募・連続購入システムは、十分に革新的なものと言えると思うが、もうひとつのラディカルな点は、先に述べたように、そもそも作家が展覧会や受賞で業績を残し、美術館はその評価を見定めたうえで代表作を買い上げるという順序を全く逆回転させるという点である。若手作家の短い略歴に「コレクション:清里フォトアートミュージアム」と一行が入ることは、大きな意味を持ってくる。たとえ受賞歴がなくても「作品が購入された」という事実は、プレゼンテーション能力や写真作家としての視野の広さ、真摯な姿勢が、ギャラリーやコレクターにアピールするだけでなく、写真家として仕事をする上でも追い風になることは間違いない。
実は、学芸員自身も最初からその先見性が見通せていたわけではない。しかし、徐々にはっきりと見えて来て、発案者である細江館長の見識の深さに心を動かされ、募集から収蔵・展示に関する膨大な仕事を、今日まで続けている。スタッフは、他の企画展などを開催しながら、前年度購入のヤング・ポートフォリオの展示作業を終えた瞬間に、次の応募の準備に入る。さらに、会期中のレセプションやギャラリートークを入れると、1年以上が経過するというスケジュールで動いている。
「既成概念を打ち破る。」「良く勉強して、世界中の誰もやっていないことをやる。」は、細江館長の口癖である。写真家として、また写真美術館館長としての、この類希なる情熱がヤング・ポートフォリオに込められていることが少しでもご理解いただけただろうか。この情熱に呼応してくれる若者を世界中に求めて、私たちはこれからも発信して行かなくてはならないと思っている。