「マヌエル・アルバレス・ブラボ:メキシコ、静かなる光と時」展(世田谷美術館)を見て
清里フォトアートミュージアム 学芸員・山地裕子
<1997年、アルバレス・ブラボ展をKMoPAにて開催>
現在、世田谷美術館にて開催中のマヌエル・アルバレス・ブラボ展。アルバレス・ブラボの展覧会はこれまで世界中で多数開催されてきましたが、同展では、作家の遺族が運営するアーカイブの協力を得て、困難だった撮影年の特定を試み、192点を時系列に展示することで、20世紀メキシコを生きた写真家の仕事の全容を見ようとするものでした。多数の展示資料と充実した図録も発行され、本当に大変な準備作業だったことと想像しますが、ラテン・アメリカの偉大な写真家の本格的な展覧会が開催されたことは、今後、日本の写真にさまざまな影響を及ぼすものと思います。 実は、マヌエル・アルバレス・ブラボの展覧会を、KMoPAでも1997年(6/21-10/26)、メキシコ大使館の協力により開催しています。KMoPAでの展覧会は、日本初の美術館における個展であり、多くの写真関係者にとって、メキシコを代表する巨匠の作品を初めて目にする機会となりました。 当館館長の細江にとっても、アルバレス・ブラボの日本での展覧会は、長年待ち望んだものでした。アルバレス・ブラボ・アーカイブでは、細江館長より「ぜひあなたの作品を見たい」と熱望する手紙が何通も見つかったとのこと。1996年、駐日メキシコ大使館文化部のエギアルテ氏から、メキシコでも“マエストロ”として知られる細江館長へ、日本への巡回の打診があった時の細江館長の興奮した様子は言うまでもありません。大使館の協力が得られるとのことで、早々に会期を設定し、国際協力基金の助成も得て、開催の運びとなったのです。 KMoPAでの展覧会は、作品数176点。メキシコ文化省が世界各地を巡回させていた回顧展で、代表作を網羅した内容となっていました。当時、マヌエル・アルバレス・ブラボは95歳。高齢のため来日出来ませんでしたが、夫人であり写真家でもあるコレット・ウルバフテルをオープニングにお迎えし、当館の開館2周年記念と併せてレセプションを行いました。
<メキシコのアルバレス・ブラボ邸を訪れて>
1996年11月、同展を終了した直後、私は国際写真キュレーター会議「オラクル」に出席するため、細江館長に同行し、メキシコを訪れました。その際、細江館長、サンディエゴ写真美術館館長のアーサー・オルマン、イスラエル美術館キュレーターのニッサン・ペレスとともに、メキシコ・シティのコヨアカン地区にあるアルバレス・ブラボ邸を訪れる機会を得ました。(*文中役職はすべて当時)
風が気持ちよく通る居間には、中庭の見える大きなガラス窓。その奥の部屋で“ドン・マヌエル“(尊敬を込めた愛称)は、ベッドに横たわったまま、笑顔で来客を迎えてくれました。メキシコ独特のデザインの椅子が置かれた居間で、コレット夫人やアシスタントと穏やかなひとときを過ごしてから、自宅から少し歩いたところにある暗室へ案内されました。光の降り注ぐ居間での光景は、私の中で圧倒的なものとして、今も鮮やかに蘇ります。 居間の壁には、ベレニス・アボット撮影のウジェーヌ・アジェとジェームズ・ジョイスの肖像を含む数枚の写真が飾られていました。世田谷美術館での展覧会に際して来日したアルバレス・ブラボの娘で、アーカイブを管理しているアウレリア・S. アルバレス・ウルバフテルによると、ジョイスはアルバレス・ブラボの好きな作家の一人で、『ユリシーズ』も初版本の複製を含む数冊を所蔵していたそうです。そして、アジェもアルバレス・ブラボが敬愛する写真家の一人でした。別の部屋にはティナ・モドッティの“Flor de Manita”(小さな手のような形をした花の意、1925年撮影、プラチナ・プリント)と並べて、アルバレス・ブラボの1928年撮影の《アイスクリーム売り車の上の小馬》(Caballito de Carro de Helados)が飾られていたそうです。
自宅の中庭や窓は、たびたびアルバレス・ブラボの被写体となっていましたが、90歳を越えてからは特に頻繁に撮影し、シリーズ〈内なる庭〉を発表しています。窓枠にからむ光と影の一瞬の戯れも、アルバレス・ブラボの撮影によって、詩情あふれるモノクロの世界に ー その生涯を貫いた写真への思いは、まさに次の言葉に集約されています。 ? ? ? ? ? 「私にとって写真とは、見る技法です。ほぼそれに尽きるといえます。見える物を撮り、絵画と違って、ほとんど改変もしない。こうした姿勢でいると、写真家には予期せぬものを、実に上手に生かせるのです。」(1970年) (『マヌエル・アルバレス・ブラボ ー メキシコ静かなる光と時』2016、クレヴィスより)
<当館所蔵のアルバレス・ブラボ作品:プラチナ・プリント>
当館では、アルバレス・ブラボの作品を12点収蔵しています。《アイスクリーム売りの二輪車の上についた小さな馬》を含むプラチナ・プリントのポートフォリオ10点と、1997年の展覧会時に夫人から寄贈された作品《眼の寓話》(Parabola optica, 1931年,プラチナ・プリント)、そして、もう1点は、写真家ロバート・ハイネケン(米、1931-2006)が所蔵していた作品で、《誘惑、アントニオの庭にて》(Tentaciones en casa de Antonio,1970)です。
プラチナ・プリントの制作については、世田谷美術館の展示室最後部での展示および図録の巻末において、写真家ジェイン・ケリーが撮影した、室作業を行うアルバレス・ブラボの写真が紹介されていますが、その時のプリントが、当館所蔵のポートフォリオです。
アルバレス・ブラボは、古い写真や機材、古典技法に強い関心を持っていました。初めてプラチナ・プリント技法をアルバレス・ブラボに紹介したのは、メキシコに滞在していたティナ・モドッティで、1928年頃でした。モドッティは、既成のプラチナ印画紙のロール(断裁していないロールの状態)を持っていたのですが、モドッティの関心は、当時他の技法にあったため、アルバレス・ブラボに譲ったとのこと。そのロール紙からアルバレス・ブラボが制作した初めての作品が、自宅に掛けられていた《アイスクリーム売りの車の小馬》でした。ポジ画像よりも、むしろネガの見え方の方に惹かれ、そちらを作品化したというイメージです。その後、しばらくして、再度そのロール紙からプラチナ・プリントを制作しようとしましたが、湿気などの原因で用紙が劣化してしまい、さらに既製品も生産されなくなっていました。 ? ? それから約50年の後、再びアルバレス・ブラボのプラチナ・プリントへの興味が再燃した理由は、モドッティの没後、彼に託されたモドッティのネガを見ていて、彼女の作品は、ゼラチン・シルバーよりもプラチナ・プリントの方が適していると感じたことからでした。折しも、アメリカでは、アーヴィング・ペンなど多くの写真家が、プラチナ・プリント技法を復活させようと夢中になっていました。 アルバレス・ブラボは、ニューヨーク近代美術館写真部長のジョン・シャーカフスキーから、写真家リチャード・ベンソン(現イェール大学写真学科助教授)が作ったプラチナ・プリント技法マニュアルを譲り受け、4年間の試行錯誤の後、ようやく10枚のポートフォリオ制作にたどり着いたのです。
歴史、政治、文学、映像、舞台、美術、工芸、デザイン、内外のさまざまな影響を受けた豊穣なメキシコ文化。歴史や偶然が生み出した美やユーモアと写真家の視点が交差し、いとも簡単に切り取られたように見える一方で、現実と非現実のあわいが、幻想的で、摩訶不思議な世界を感覚させるアルバレス・ブラボの写真。世田谷美術館での会期は、残すところあと1日。終了後は、名古屋市美術館、静岡市美術館へ巡回されます。ぜひご覧になってはいかがでしょうか。 当館所蔵のアルバレス・ブラボのプラチナ・プリント・ポートフォリオは、定期的に開催しているプラチナ・プリント収蔵作品展にて展示いたします。 78歳当時の写真家が選んだ10点はどのイメージだったのか。アルバレス・ブラボは、イメージによって印画紙に使用する水彩画用紙も変え、色調も、冷たい黒や赤みのあるグレーなど、個々に調整しています。次回の展示をどうぞお楽しみに。